三太郎の日記のつづき
三太郎の日記はよく読むとよく分かるところ
もある。
『僕は自分の(が)つまらない者であること
を忘れたくない。しかし自分のつまらないこと
さえ知らぬ者に比べれば僕ら何という幸な。。。
自分のつまらないことを知る者はつまらない者
でなくなるか。。。。』
言ってる意味はよく理解できるではないか。
少なくとも論理は明白で簡便である。
しかし多少深く考えると根本的な欠陥を含んで
いるのだ。それは『つまらない者』という言葉の
意味がまったく不明なことだ。
私は常に、男も女も恋を知らない人、恋をバカ
にする人は一番つまらない人間と思っている。と
ころがこの三太郎の日記の著者の哲学者は自分を
哲学的に分析できない俗人のことをつまらない者
と言うらしい。
それならそれで良いがそうすれば世間のほとん
どすべての人がつまらない者となる。