リチウムイオン電池にノーベル賞
このとき私は丁度上野から東北新幹線7時6分発の車中にいた。
になっているはずだ。すぐさま手持ちのiPADを開いた。とたんに
吉野彰さんの顔が大写しとなった。旭化成での記者会見の模様だ
った。
遅すぎた。私は10年も前からマスコミの事前取材があると
リチウム電池を候補に挙げてきた。その都度『大槻の予想は
当たらない』と笑われてきたのだ。
記者会見、質疑応答に移っていた。例によって大新聞の記者
がバカな質問をした。『日本の大学の能力が落ち将来ノーベル
賞などとれなくなると危惧されているが吉野さんのご意見は?』
と。吉野さんの研究現場は大学ではなく民間会社だから、当然
大学の研究批判が出るものと記者は期待したのだろう。
しかし吉野さんはエライ!『大学での基礎研究と産業現場
での応用研究が両方必要です』と。当たり前のこと。共同
カの大学にあって吉野リチウム電池の基礎を作ったのだっ
た。まさに大学と産業現場の提携だ。このことを強調して
記者の質問をはぐらかした。
それにしてもリチウム電池は科学文明を変えた。つまり
、今、思うのは『どうせやるなら文明を変える』よう
な研究をやることがいいのだ。私はつくずく考える。私のや
ってきた研究、『放射線の水切り運動の発見』『火の玉の
解明』にしても私自身はただ単に面白いからやったことだ
った。『科学文明を変える』という意気込みに欠けていた。
チウム電池の基礎を