中国の人権侵害、特に『ウィグル族弾圧』の真相

              (朝日新聞からの引用)

対中制裁、EUに続き米も発表 「ウイグルの人権侵害」

 

写真・図版中国の新疆ウイグル自治区にある「職業技能教育センター」とされる施設のそばを歩く労働者=2018年9月、ロイター

 

欧州連合EU)は22日、中国でウイグル族

対して深刻な人権侵害が続いているとして、

中国当局者らへの制裁を発動した。中国政府

や当局者の責任を問う制裁は1989年の天安門

事件以来。米国も歩調を合わせる形で同日、

当局者2人への制裁を発表した。EUの制裁発

動の後、中国側は即座に反発し、対抗措置

をとると表明した。.............

          (引用終わり)

 中国共産党独裁政治は納得いかない点も多い。

例えば党幹部の人事。それは全人代で民主的に

きまるというがそれならその代議員はどう決ま

るのか。この点は日本共産党の幹部も同じこと。

 それに貧富の差の拡大。本来は自由民主主義

での貧富の差を否定しての共産党政権ではなかっ

たのか?!

 しかし中国共産党政権の良い点も散見される。

その一つが宗教団体否定、とくに新興宗教弾圧

である。例えば気功とやらを掲げて法輪功、中

国当局はこれを『邪教』と認定、弾圧。入信し

た100万人を教育施設で教育した。おおむ真

理教の野放しとは大違いである。

 朝日が伝えた『ウィグル族弾圧』とロイター

が報じた『教育施設』は上と同じものである。

つまりウィグル族弾圧とはウィグル族の回教徒、

『回教新興宗教』に対する弾圧である。

 この弾圧は当然で私はこれを支持する。

 

 

 

 

 

 

 

 

加賀乙彦『雲の都』膨大な小説、コロナだからこそ読めた

1巻が500ページぐらい、それが5巻あるから超長編

小説である。こんな長い小説を読めるのもコロナのおか

げ。何と4巻までたった3週間で読み終えた。しかし、

これは文学ではなく『私小説』の類。いやいや小説でも

なく『日記』なのだ。だからもはや5巻目は止めた。

 私小説でも、単なる日記でも戦後、激動の日本社会

をほぼ同時代に生きた者、しかも加賀乙彦の生きた青春

とほぼ同じ位置にいた私は自分の日記を読むような感傷

にひたることが出来た。

 血のメーデー事件、その後の共産党民青の『歌声運動』

その反動としての極左主義の台頭。60年安保闘争で頭

にけがをし、70年安保闘争で火炎瓶に追われて教授室

を占拠される。その間の膨大な日記は生ナマしい。

 たしかに私は加賀乙彦のそばにいた。しかしこのヒト

は結局身分の違う、つまり次元の違う世界にいた。私は

下層階級、貧乏学生として、加賀は裕福な上流階級の学

生として。済む家も食べるモノもない生活の私に比べて

加賀は叔母、叔父など軽井沢に別荘を持つ、しかも弁護士

や大臣、大病院の医師。女性はフランスやドイツでピアノ

バイオリンの酒豪の留学三昧。

 そこには物理学者とか生物学者などは皆無。こんな優秀

な家系で科学者などまったくいない。お金にならない種族

だからなのだろう。奥様達はきまって音楽家で美人。だか

ら家族構成はみだれに乱れている。兄弟には決まって、夫

以外の子供がひそかに生まれている。

 いまさらになって安堵する。東大の上流階級でなくて良

かったなあ。食うや食わずで科学者になって好きな学問が

思う存分出来た。医学部で医者になり欲求不満で『小説

みたいな膨大な日記』を書いたヒトに比べて。

 

ウィーン大学14世紀、とんでもないこちらは842年創立の足利学校アリ!

 ごく近くにいながら、しかもいつも側を通って

いながらこれまでの長い間、ついぞ訪問しなかっ

足利学校、コロナで三蜜をさけて神社仏閣、公

園、古墳を歩き回ったついでにやっと頭に浮かん

だのが足利学校だった。埼玉古墳、神田明神、葛

柴又帝釈天哲学堂飛鳥山公園などを回って、

やっとたどり着いたのが足利学校

 そのキャンパスの広さに驚いた。東京の名門

大学のキャンパスにひけをとらない。ここに3千

人の学生が学んだという。学問の内容は主に論語

が中心だが古事記、日本書記はじめ日本、中国の

古典。中には天文学もあったらしい。

 なぜ、ヤマト朝廷の中心地、京都、奈良、伊勢

からかくも遠い場所にこんな古代の大学が作られ

たのか。それは平安時代陸奥守(関東、東北

地方の支配者)の支配地の一番都に近い場所が、

足利だったからだ。その陸奥守、小野篁(おのの

たかむら)は学問が嫌いで、そのことを天皇から

叱られて猛省して一転学問のとりこになった、と

いう。あまりに熱心のあまり自ら学問所を作って

しまったのだ。

 その日、ぞろぞろと中学生の団体が見学に来て

いた。つい、私の悪い癖が出た。この連中を集め

て説教を始めた。『私は若いころウィーン大学

行って、その古さに感動した。14世紀に造られ

ウィーン大学哲学部物理学科。しかし今この足

利大学は何と842年というではないか!しかも

当時まったく学問の嫌いなこの地方の支配者によ

って作られた!自分自身がここで勉強するために

大学を作ってしまったのだ』

ウィーン大学、14世紀開校の哲学部にタマゲタケ!

 東大大学院に入りたてのころ、当時量子力学

のメッカと言われたウィーン大学に留学すべく

、恩師朝永振一郎先生の紹介状をポケットに

シベリア鉄道に乗った。延々10日間の列車旅

の末オーストリアに着いた。めざすウィーン大学

理学部。ウィーン大学はウィーンのド真ん中にあ

ったがいくら探しても理学部はなかった。誰に聞

いても理学部は分からなかった。そこで次の日、

理工学部を探したがそれも皆目分からなかった。

 三日目になってウィーン大学の正門前にうろち

ょろしていると眼鏡のあんちゃんに出会った。そ

の時大学は夏休みだったのでほとんど学生はいない

のにこのあんちゃんが学生だぞ。

 なんと幸運なことにこれは物理学科の学生だった!

連れていかれたのが『哲学部物理学科』!!エ?テ

ツガク部?そうだよ、ウィーン大学は14世紀にで

きたのだからみんな学問は哲学だった。あはは、古い

のよ!

 エえ?14世紀の大学!私はえらく感動した。東大

など100年の歴史を誇ってもウィーン大学にはとう

くかなわない。私は長くそう思って西洋の学問に劣等

感を持ってきた。ところがフト昨日近くの栃木県足利

市の足利学校を訪れた。いまさらながらびっくり仰天!

  (つづく)

形の物性物理学

 原子物理学と対比されるのが物性物理学

ですが、これは、、導体、不導体、絶縁体

あるいは気体、液体、固体、また金属、誘

電体、強誘電体、磁性体、強磁性体、反強

磁性体などが研究対象です。このような研

究分野が物性物理学と呼ばれる分野です。

ただし、この言葉は日本の物理学会で使わ

れはじめたので正しい英文はありません。

 最近これらの研究で注目を集めているの

が、『形の物性物理学』というモノです。

形、つまり球体、立方体、ドーナツ体、粉

体などの物性物理学です。2次元平面体(薄

膜体)や一次元体(細線体)の物性なども

あります。これらの数学的理論物理学では

『トポロジカル物性物理』とも呼ばれ、こ

の分野の先進的研究はフランスの数理学者

が先導し、ノーベル物理学賞が贈られまし

た。

 最近話題になっているのが平面の物性です。

実際シリコン半導体の平面シートが作られる

ようになり物性研究が急速に発展しています。

このような構造の中では量子をフェルミオン

とボソンにはっきり区別できなくなります。

つまりr1とr2に存在する量子について

これらを入れ替えを行うとその波動関数ψ

  ψ(r1、r2)=ψ(r2、r1)

    -順可換性ー

または

  ψ(r1、r2)=-ψ(r2、r1)

    -反可換性ー

という普通の理論物理学の常識からずれて来ます。

 一般には、平面(2次元)体ではこれが

ψ(r1、r2)=(sinα+icosα)ψ(r2、r1)

のようにψの前が1でもー1でもなくなります。

 このような量子がエニオンと呼ばれるものです。

 

 

    

本日11日NHKは『福島原発事故10周年』と特集、とんでもない!これは単なる『事故』か?!!

もちろんこれは単なる事故でかたずけられない。そこには

『作為』『過誤』が潜む。それらは折り重なる『多重過誤

』であるから悪質である。

第1重過誤

 中曽根科学技術庁長官を先頭にした米国からの軽水炉

入。この時の政府は学術会議に上の方針を諮問。学術会議

は ノーと答申。安全性が十分でない、との理由。これに

対して中曽根は激怒。学術会議の予算をストップ、『イエ

スマンによる別会議『産業会議』を作った。

第2重過誤

 東電は福島沿岸、高さ14mの丘に軽水炉輸入炉を設置

することに決めたが冷却水の経費節減のためこの丘を7m

まで削ってしまった。実際には10年前14mの津波がき

た。

第3重過誤

 津波などで冷却装置の電源がダウンしたときの代替電源

のバッテリーを2階ではなく地下に設置。津波は地下に侵

入。

第4重の過誤

 冷却用の電源喪失でも近くに東北電力の高圧電塔があっ

たがそれをつなぐトランスがなかった。

第5重過誤

 電気による冷却がすべてダメな場合を想定して消防用放

水車設置の提案があったが無視された。実際には横浜から

 放水車数台を借りた。

第6重過誤

 すべての電力が消失しても最後の手段として蒸気による

 冷却装置の稼働があったがこの運転方法を140人もの

 運転員のだれも知らなかった。何故知らなかったか。一

 度も訓練しなかったのだ!

 

 6重もの過誤があって起こった原発の爆発、単なる事故

ではない。住民からの反原発訴訟で住民側は負けることが

多かった。その最後の理由が第6重の蒸気運転装置の存在

だった。裁判官も勉強不足、『装置はあっても運転員のだ

れも運転の仕方を知らない』とは想像も及ばない珍事。