ウィーン大学14世紀、とんでもないこちらは842年創立の足利学校アリ!

 ごく近くにいながら、しかもいつも側を通って

いながらこれまでの長い間、ついぞ訪問しなかっ

足利学校、コロナで三蜜をさけて神社仏閣、公

園、古墳を歩き回ったついでにやっと頭に浮かん

だのが足利学校だった。埼玉古墳、神田明神、葛

柴又帝釈天哲学堂飛鳥山公園などを回って、

やっとたどり着いたのが足利学校

 そのキャンパスの広さに驚いた。東京の名門

大学のキャンパスにひけをとらない。ここに3千

人の学生が学んだという。学問の内容は主に論語

が中心だが古事記、日本書記はじめ日本、中国の

古典。中には天文学もあったらしい。

 なぜ、ヤマト朝廷の中心地、京都、奈良、伊勢

からかくも遠い場所にこんな古代の大学が作られ

たのか。それは平安時代陸奥守(関東、東北

地方の支配者)の支配地の一番都に近い場所が、

足利だったからだ。その陸奥守、小野篁(おのの

たかむら)は学問が嫌いで、そのことを天皇から

叱られて猛省して一転学問のとりこになった、と

いう。あまりに熱心のあまり自ら学問所を作って

しまったのだ。

 その日、ぞろぞろと中学生の団体が見学に来て

いた。つい、私の悪い癖が出た。この連中を集め

て説教を始めた。『私は若いころウィーン大学

行って、その古さに感動した。14世紀に造られ

ウィーン大学哲学部物理学科。しかし今この足

利大学は何と842年というではないか!しかも

当時まったく学問の嫌いなこの地方の支配者によ

って作られた!自分自身がここで勉強するために

大学を作ってしまったのだ』