方丈記、続きのつづき、『夜臥す床あり』

  われ(すでに)60)歳。。。この山にこもり居て後

、やごとなき人(お金持ちで偉い人)の、かくれ給へる

もあまた聞ゆ。。。。炎上にほろびたる家いくばくぞ

(その多くは災害にあって家、屋敷を焼かれて逃れてき

たのだろう)

ただ(わが)かりの庵(いおり)のみ、のどけくして

(災害炎上の)おそれなし。。。。夜臥す床あり、ひ

る居る座あり。一身をやどすに不足なし。

 

 月かげは入る山の端もつらかりき

   たえぬひかりをみるよしもがな

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 温暖化によって災害列島ニッポンになったとばかりは

言えない。養和のころも元歴のころも台風や大雨や大地

震はあったのだ。そしてもちろん火災、火事は都を焼き

尽くした。

 そのときの被害は家屋敷をことごとく破壊され焼かれ

た金持ちほどひどかった。まさに『おごれるもの久しか

らず』である。年収20憶から30憶円を受け取ったゴ

ーン被告の例をひくまでもない。山にこもり月の光に見

とれるだけの我が家は寝る場所と居間があれば十分であ

る。

 私も同じ老齢の身。鴨長明にあこがれる。ただ、ささ

やかな方丈がある那須の山にあって読書と月とを友にし

て。ただ違うのはお経も念仏も唱えないだけのことだ。

 

  秋ぜみの鳴きおわりたる山はだに

   たえぬひかりのつきかげおこり虫のこえ。

 

武漢新型肺炎感染者数9600人のウソ八百!

 1月31日朝の段階で武漢市のは感染者数

は9600人と中国政府が発表した。これは

全くウソ八百と断ぜざるを得ない。

 その根拠は簡単である。武漢市からの引き

上げ日本人第一便、二便の合計430人ぐらい

の内、感染が明らかになったのが12人。これ

に加えて武漢の空港ですでに顕著な発熱で同乗

医師の判断で帰国便の搭乗を拒否された人、少

なくとも2名いるから帰国者430人ぐらいの内、

感染者は14人とみるべきである。

 こうすると武漢市から引き揚げた日本人430

人の内14人の感染者では

  14/430=0.0326

となり3.3%の感染率である。

 ところが中国政府の発表数値はどうだ。武漢

の人口は1110万人、感染者は9600人とい

うのだから

   9600/11100000=0.00086

つまり0.086%となる。な、なんと日本の感

染者数は39倍になるではないか!

 これが2倍程度のごまかしならまだしも、40

倍ものごまかしとは!しかも何と国連の世界保健

機関WHOがこのデタラメなデータを黙認している。

WHOは『各国の医療保険分野の対策に貢献すべく

国際的な医療保険情報を伝える。。。』という任務

を持っているというのだからあきれた話です。

 (この記事は腹立ちまぎれに急いでやった計算

ですから多少の計算違いはご容赦ください) 

   <その後の追加>

 韓国の感染者数を調べた。武漢からの引揚者数は

368人感染者数18人で

   18/368=4.8%

日本よりはるかに多い。この数字を武漢市人口に

かけてみると

  1110万人×0.048=53.28万人

すでの武漢市は壊滅状態である。 

  

方丈記、続き、うちつづく災害で死者の山

また養和のころとかよ、。。。2年が間。。。春夏日(ひ)で

り、或いは秋冬大風、大水など。。。五穀ことごとくみのら

ず。。。。国々の民、地を捨てて、或いは家をわすれて山に

住む。。。。。世の人みな飢え死にければ。。。少水の魚の

たとえ(川の水が枯れてしまって魚ことごとく死ぬ)。。。

いはむや(鴨川の土手や川原)などには(死体の山ができ)

馬車の行きちがふ道だにもなし。

 

 これは養和のころの大飢饉の模様である。そのころ、東日本

では3,4年おきに冷夏が襲った。今でも温暖化といっても

『やませ』(北東寒気流)によって冷夏が来る。10年ほど

前になるがこの冷夏で米が不作で大騒ぎになったではないか。

いくら頼んでも米屋は米を売ってくれなかった。息子の家内

の実家が北陸だったのでそこに電話して米を買ってもらった。

もちろん今でも冷夏は周期的にやって来るが米不足にはもう

ならない。品種改良によって冷夏に強い米の作付けができる

ようになったのだ。米の作付けが出来なかった北海道でも稲

作が可能になったではないか。『ゆめピリカ』はおいしいよ。

21世紀になってやっと科学の力で日本は冷夏を克服したの

だ。

 

  また元暦2年のころ。。。。山くづれ川を埋み、海かたぶ

きて陸をひたせり。土こけて水わきあがり、いわをわれて谷に

まろび入り、。。。在在所々堂舎廟塔、一つとして全からず。。

 

 これこそ名に残る元暦大地震の様子である。南海沖のプレー

ト型大地震。『海かたぶきて』陸をのみこんだ。恐ろしい津波

の襲来は『海かたぶきて陸に押し寄せた』のだった。今では

この南海地震の予知もなされている。『30年以内に発生する

確率は75%』と。また直前予報も40秒~20秒前に警報

が出せるように進歩した。走っているすべての新幹線を急停車

させるのの十分な時間である。今ではすべての新幹線がこのよ

うに設計されている。つまり地震警報は自動的に新幹線のブレ

ーキと連結しているのだ。 

『方丈記』を読み直す、その1『色即是空』

行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみ

に浮かぶうたかた(泡、渦)は、かつ消えかつ結び久しくと

どまることなし。

世の中にある人とすみかと、またかくの如し。。。。。

 

 この文節は般若心経の

    色即是空

の具体的表現である。色は万物、物体のこと、空は運動や

変化のこと。運動や変化は表現しようもなく、静止と不静止

という矛盾である。エンゲルス弁証法はこの矛盾を指摘

する。

 釈迦はマルクスエンゲルス以前の遠い昔にこの自然哲学

を悟った。そしてその神髄の例として鴨長明は鴨川の水面に

浮かぶ『うたかた』の運動と変化を述べた。

 科学が未発達のそのころ、鴨長明が言えるのはそこまで。

後は、人生のはかなさを例として述べる。今の仏教の大部

分が同じことをやっている。すなわち『世の中にある人の

はかない運命』について、『またかくの如し』と。

 このはない運命として鴨長明は長々と自然災害のこと

を列挙する。

 

 治承4年卯月29日のころ、御門京極のほどより、大なる

つじ風起こりて。。。。家の内のたから、数をつくして空

にあがり。。。

 

 これは台風、熱帯性低気圧、雷雲などにともなう大規模

なつむじ風、今の気象学で言う『塵旋風』であったかもし

れない。しかしこれは極めて大規模な被害であったので竜

巻であったかもしれない。なにしろ『富める家も貧しき家

も、何もかもすべて空に舞い上がった』というのだから。

加能作次郎を読んだ

『厄』という小説を読んで感動した。芥川龍之介の『枯野

抄』に受けたと同じ衝撃を受けた。人の死に対する絶望、

悲しみ、恐れ、と希望、喜び、安堵を取り上げたことでは

双方同じ哲学であった。

 音楽好きの知人とたびたび論争したことだが音楽は芸術

ではない。あるいは芸術としてもレベルの低い芸術である。

なぜなら芸術は恋と死を追求するものだからである。音楽

は1次元の表現能力、絵画、彫刻は2次元、3次元の表現力

を持つので音楽に比べて絵画、彫刻は恋と死を多く語る

ことが出来る。そして文学は無限次元の表現力があるから

恋と死の極致が語れる。

 加能作次郎は明治末期から昭和初期に活躍した小説家。

珍しくも早稲田大学文学部出身である。日本の文学者は

ほとんど東大出身だ。森鴎外川端康成夏目漱石、太宰

治、谷崎潤一郎大江健三郎、そして芥川龍之介

 不思議なことに他の大学出身者はほとんどいない。そこ

で私は早稲田大学出身者として、この加能作次郎を挙げよう。

安倍総理大臣閣下、『家族みんなで楽しめる博打場作る』には呆れる

   総理大臣閣下は本日の国会答弁で上のような意味

の国会答弁をした。『博打場』という部分をIRとか

ごまかしているがすでにこのIR贈収賄で問題になっ

ている中国企業はバクチ場を作る企業だ。

 その博打場で『家族みんなで楽しむ』とは滑稽で

笑いが止まらない。そんな家族は自民党公明党

家族だけにして欲しい。

 ヨーロッパ先進国でこんなごまかし賭博場で家族

みんなで楽しんでいるところなどない。恥ずかしく

ないのか。

 江戸の昔ですらバクチは『バで朽ちる』と呼ばれ

て、コソコソとウラで密かにやっていたのだ。家族

みんなで楽しむなど御法度だったのだ。

 ああ、いやだ、嫌だ!!