方丈記、続き、うちつづく災害で死者の山

また養和のころとかよ、。。。2年が間。。。春夏日(ひ)で

り、或いは秋冬大風、大水など。。。五穀ことごとくみのら

ず。。。。国々の民、地を捨てて、或いは家をわすれて山に

住む。。。。。世の人みな飢え死にければ。。。少水の魚の

たとえ(川の水が枯れてしまって魚ことごとく死ぬ)。。。

いはむや(鴨川の土手や川原)などには(死体の山ができ)

馬車の行きちがふ道だにもなし。

 

 これは養和のころの大飢饉の模様である。そのころ、東日本

では3,4年おきに冷夏が襲った。今でも温暖化といっても

『やませ』(北東寒気流)によって冷夏が来る。10年ほど

前になるがこの冷夏で米が不作で大騒ぎになったではないか。

いくら頼んでも米屋は米を売ってくれなかった。息子の家内

の実家が北陸だったのでそこに電話して米を買ってもらった。

もちろん今でも冷夏は周期的にやって来るが米不足にはもう

ならない。品種改良によって冷夏に強い米の作付けができる

ようになったのだ。米の作付けが出来なかった北海道でも稲

作が可能になったではないか。『ゆめピリカ』はおいしいよ。

21世紀になってやっと科学の力で日本は冷夏を克服したの

だ。

 

  また元暦2年のころ。。。。山くづれ川を埋み、海かたぶ

きて陸をひたせり。土こけて水わきあがり、いわをわれて谷に

まろび入り、。。。在在所々堂舎廟塔、一つとして全からず。。

 

 これこそ名に残る元暦大地震の様子である。南海沖のプレー

ト型大地震。『海かたぶきて』陸をのみこんだ。恐ろしい津波

の襲来は『海かたぶきて陸に押し寄せた』のだった。今では

この南海地震の予知もなされている。『30年以内に発生する

確率は75%』と。また直前予報も40秒~20秒前に警報

が出せるように進歩した。走っているすべての新幹線を急停車

させるのの十分な時間である。今ではすべての新幹線がこのよ

うに設計されている。つまり地震警報は自動的に新幹線のブレ

ーキと連結しているのだ。