三島由紀夫、何も見えていなかった、50年前の死の無駄

     (毎日新聞からの引用)

1970年への旅 三島が予見した「終末」 現代人が直面する「破滅」見えていた…

東京・南馬込の自宅でインタビューに応じる三島由紀夫。この時期、創作と同時に、「楯の会」の活動を本格化させて「死」の準備を始めていた=1968年12月撮影
東京・南馬込の自宅でインタビューに応じる三島由紀夫。この時期、創作と同時に、「楯の会」の活動を本格化させて「死」の準備を始めていた=1968年12月撮影

 「あの日」から今年で50年になる。19

70年11月25日、三島由紀夫(享年45)

陸上自衛隊市ケ谷駐屯地に乱入、自衛隊

に「檄(げき)」を飛ばした直後に割腹自決

した事件は衝撃を与えた。今も内外で業績が

しのばれ、その言動は論議を呼ぶ。なぜ国の

行く末を憂えて逝ったのか。作家が予見した

「終末」の意味を考える。

 <僕が死んで五十年か百年たつと、ああ、

わかったという人がいるかもしれない。そ

れで構わない>。。。。。。

               (引用終わり)

 あれから50年たった。日本は彼が心配

してくれた終末は迎えない。迎えないどこ

ろかきわめて平穏無事に進んでいる。

 新憲法のもと、戦争もなく、外交も世界

各国と友好を維持している。経済もインフレ

もなく一人あたりのGDPは1980年代から

2倍近くに増加している。

 社会生活も良好で治安は世界有数に良好で

教育も行き届き発展している。一部貧富の差

が問題になっているが社会保障費は1.9倍

ものびている。

 『50年たってやっと分かった』ことは三島

の心配は絵空事だったことだ。