出雲大社の『見物』に行ってきました。決して『お参り』でなく。やはり古代の渡来人のあと

 長年この出雲大社に興味を持っていましたがこの機会

に一泊二日の旅をしました。もちろん古事記を片手に。

到着と同時にこの出雲大社の地が広大な『とりで』の

地形だったことが分かりました。砦らしく、後ろの山

に面して前方は5mぐらいの堀を作ってあります。明ら

かに敵の侵入を防ぐ配置でした。敵、つまりその頃土着

縄文人たちであったと想定されます。

 そこでここに立てこもった渡来人とは何か。もちろん

弥生人、つまり大陸からやってきた異民族です。古事記

ではオオクニヌシ一行のことです。オオクニヌシの後に

も『天』から天下った神々がたくさんいました。この

天下りの場所が何故出雲だったのか。それは朝鮮半島中部

東海岸からもっとも近い場所で縄文人の勢力が弱い場

所だったのでしょう。朝鮮半島南部、つまりプサンから

もっとも近い場所は北九州ですが、朝鮮半島中部から近

い場所は出雲でした。

 古事記をよく読むと『天下り』の様子が語られている

場所があります。突然天から出雲に直接『落下』したの

ではなく、なんと『長い海上渡来』だった。天から出雲

に来るのに何故海路?古事記にはこの天下りの時、優秀

な航海士を供につれて旅立つ様子がはっきりと書かれて

います。アマテラスの他多くの渡来人が海を渡ってきた

ことは明らかです。

 念のためお断り。私が般若心経の色即是空唯物論

興味を示しても、出雲大社の砦の配置に興味を持っても

決して宗教に肩入れするもではありません。あらゆる宗

教は現在非科学的で人身を迷わす悪です。ただその宗教

の元祖の哲学や物語の中で興味深い古代のロマンがあり

ます。その哲学やロマンには心惹かれるものがあるので

す。出雲大社の前の掘割を測ったり、出雲大社の一番奥

にいってその後ろの山を眺めたりしても一度たりとも、

手を叩いて拝礼はしなかった『罰当たり者』でした。