奇々怪々三島由紀夫の自殺前の自衛隊本部総監

 過日車で新宿から四谷の上智大学に向かっていたが

新宿東口で左折するのを一本間違えてに早めに左折し

てしまった。右折して四谷に行くべく防衛省の前を右

折しなければならない。

 右折しようとして車のスピードを落とした。とたんに

左から怒号が飛んだ。『コラー!!ここ止まっちゃいか

ん!行け行け!!見れば防衛省の警備員のようだった。

交通警察でもないのに車に指示を出すなんて?!私は

当然指示にしたがわず車を止め右折の態勢をとって、そ

の声の主あたりを見た。

 防衛省入り口には警備員5,6人たむろしており、そ

の正門には大きな車止めが並んでいた。防衛省に入るに

は許可を得てからその車止めを除去してもらって行かね

ばならない。してみると車は公道にいったん停止してい

なければならない。『ここに車は停止してはいけない』

とは何事か?!

 ちょうど50年前、三島由紀夫はどうしたわけか、この

正門をどうどうと通ったのだった。

    (以下時事通信からの引用)

作家・三島由紀夫=当時(45)=が、主宰する「楯(たて)の会」の会員と陸上自衛隊市ケ谷駐屯地に立てこもった三島事件は25日で50年。自決した東部方面総監室があった「1号館」は現在、「市ケ谷記念館」として防衛省(東京都新宿区)の敷地内に移設、復元されている。総監室の扉には三島が自衛隊員ともみ合った際に付いた刀傷が刻まれ、半世紀前の事件を今に伝える。

〔写真特集〕作家・三島由紀夫

 記念館は、同省を見学する「市ケ谷台ツアー」のコースに含まれる。旧陸軍大臣室だった総監室の部屋中央には1号館の模型が置かれており、三島が演説したバルコニーも窓越しに見えるが、扉に残る刀傷3カ所以外に事件を示す資料はない。

       (引用終わり)

 自衛隊市谷駐屯地を大手を広げて通っただけではな

い。東部方面総監室まで侵入した。さらにそこのバル

コニーにまで侵入したのだ。個別にこれを阻止しよう

とした形跡も見えるが組織的阻止ではなっかった。

 このバルコニーで三島由紀夫は『自衛隊の決起』、

つまりクーデターを呼び掛けた。大勢の陸上自衛隊

員がこの演説をにやにやしながら聞いた。その時もそ

の後も自衛隊のクーデターなど論外であり、文民統制

は機能してきたように見える。

 しかし陸上自衛隊にはその心のウラに三島由紀夫の右翼、

極右思想に感銘しているところがある。そうでなければ、

防衛省はなぜこのような刑事裁判まで発展した不法侵入を

正当化して褒めたたえる『記念館』を防衛省内部に設置し

てあるのか。