論語、学んで思わざれば。。。、50歳ごろまで私がそうだった
孔子いわく 『学んで思わざればすなわちくらし、思うて
学ばざればすなわちあやうし』
もちろん私は論語を若いときに読んだ。そして
怪力乱神を語らず
に感銘した。若いころから唯物論だったからだ。しかし
『学んで思わざれば。。。』に気がつくことはなかった。
ただただ学ぶことに明け暮れ、論文を書くことに追われた。
空間など想像することも理解することもできない。そんな
空間は実在ではなく数学的思惟経済(理解の早道)であろ
うぐらいにしか考えていなかった。
それが40歳を過ぎたころから考えが一変した。量子の
世界は複素空間の現象ならばそのまま複素空間のミクロ
の世界を受け入れねばならない。複素空間の実数部分の
みを受け入れる態度は間違いだ、と。複素空間の相転移
を考えれば莫大なエネルギーが現実世界にまで出てくる
のだ。
私の場合学んでから思わざればの『思い』に達するまで
20年以上かかった。
余談ながら本ブログのketukさんは私の論語記事の直後
に投稿してくれた。『それが私です!』と。一体この人
は科学者でもないだろうに何故こように『思わざる』に
すぐ気がついたのか!?ketukさん、そこのところをもう
一筆書いてください。