お国のために死ね、靖国神社に祀ってやるから、とどのつまり特攻兵、そのため子供を『生めや育てや』

     古関裕而作曲

             勝ってくるぞと 勇ましく
ちかって故郷(くに)を 出たからは
手柄たてずに 死なりょうか
進軍ラッパ 聴くたびに
瞼(まぶた)に浮かぶ 旗の波

<引用:『露営の歌』一番の歌詞より>

  小学1年生でもこの歌を知っていたし

直立して歌わされた。『手柄たてて死んで

ゆけ』と。

    その極めつけは若い予科練兵。つまり特攻隊。

これはアメリカの軍艦めがけて爆弾を乗せたまま

体当たりして死ぬための兵隊。

   以下予科練の歌

若い血潮の 予科練
七つボタンは 桜に錨(いかり)
今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ
でっかい希望の 雲が湧く

燃える元気な 予科練
腕はくろがね 心は火玉
さっと巣立てば 荒海越えて
行くぞ敵陣 なぐり込み

<引用:西條 八十『若鷲の歌』一番・二番の歌詞より>

  西城八十は『敵陣 殴り込み』とカモフラージして

いるが今でいう自爆テロ。こんな戦争では兵士の命など

いくらあっても足りない。そこで軍部内閣は『生めや増

やせや』『生めや育てや』運動キャンペーンをやった。

 子供をどんどん生んで兵隊さんを作れ!と。そのため

か兄弟男の子10人生まれたという笑い話があった。

 当時『肉弾3勇士』という映画を見せられた。何?

肉弾だと?特攻隊員の一人一人が人間ではなく弾丸なの

だ。戦争、とくに先の大戦は非人道的なものだった。敵

アメリカに対してはもちろん、わが日本国国民に対して

きわめて非人道的なモノだった。

 こんな戦争で虫けらのように殺された父の無念さを

晴らすのにどうすればいいのだ。それには生涯『反戦

平和』を主張しつづける以外にはないのだ。私の『反戦

平和』は単なるロマンではない。そこには深い呪いと憎

しみが含まれているのだ。