真珠湾攻撃、父の戦死、いまだに戦争を呪い、反戦平和の旗

今朝の朝刊、各紙、真珠湾攻撃による世界大戦の勃発

など記事は小さい。年々小さくなる。みんな興味もな

ければ知識もなくなった。つまり多くの日本人は、あの

戦争をすっかり忘れている。

 しかし私は決して忘れない。わが父を奪った戦争だか

らだ。父は戦争が始まっても召集されなかった。そ

のころ、父は県立産業試験所の技師で専門職だったから

だ。近所の若い『跡取り』はすべて召集され戦死してい

った。父もやがて召集される、と心配していた。父は言

った。『オレが召集されたらこの戦争は負けだ』と。

 私はそのころ小学生になったばかり。『召集されたら

逃げればいい』『蔵王の山の中なら警察も入れないよ』

父は笑って答えた。『バカ言うな。山に逃げたら山の人

たちにつかまるよ』と。1年ほどたってその父も召集さ

れ父の戦地からはがきがきた。軍用はがきだった。今の

北朝鮮の奥地のようだ、と隣の叔父が言った。切手もス

タンプもない。

 その軍用はがきにはカラーで靖国神社が印刷してあ

った。『名誉の戦死をとげたら会いに来てくれ九段坂』

とカナで書いてあった。小学校2年の私でも意味

は分かった。戦死が名誉だと?!と腹が立った。父が

戦死しても靖国神社のある九段坂などに行くものか!

 やがて父は戦死、そして終戦。道路に生えている

雑草まで食べた。残された母と兄弟4人。有り余る柿

と雑草で5人は何とか生き延びた。私の反戦平和の思想

はこの時の靖国神社の軍用はがきへの反発で始まった。

     (つづく)