古事記を読む、最初は出雲と伊勢、つまり今の神社本庁
また古事記にテを出してしまった。いつもいつも
やめてしまう。今度も同じことだ、と思って読み
だした。しかし今度は違っていた。何故なら今回
は「ウポポイーアイヌ民族共生象徴空間」とやら
の欺瞞性に呆れた直後だったから、古事記の見方
も随分違っていた。
アマテラスオオミカミの居場所は日本列島では
ない、天空だ。出雲付近に「下った」神がみはい
つもいつもこの天空のアマテラスの指示を仰ぎ、
お伺いをたてたのだ。これは現実には朝鮮半島の
最南端の王朝の王以外には考えられない。この間
の日本海は春から夏の始めは穏やかな海流だし、
ほとんど海底数メートルである。頻繁に行き来が
出来たはずだ。
ヤマト民族は戦争に敗れて朝鮮半島から落ち延び
てきた朝鮮王朝の「なれのはて=逃亡亡命政権」と
いう説が有力だが、古事記を素直に読むかぎり、朝
鮮の南部王朝の分家とみるべきである。
この出雲分家政権のやることは二つ。農地の生産
を平定すること。次第に領土拡張して伊勢の国を獲得
した。何故伊勢だったのかは分からない。多分アイヌ
の権力がこのあたりで弱かったのだろう。かくて朝鮮
のだ。
次にアマテラスの支配は突如九州の南東に及ぶ。つまり
日向である。そして高千穂。なぜ朝鮮南部と近い九州西部
や北部でなかったのか。北部、南部の海岸線は複雑で、土
着民の勢力、抵抗も強かったはずだ。そこで出雲、伊勢
天皇の選んだのが日向から高千穂なのだ。日向はよい
海岸線で複雑でもない。高千穂の峰の神話は有名だ。ア
マテラスが直々視察したと受け取れる古事記の表現もあ
る。
おどろくべきことにアイヌ民族討伐はこのころすでに
中部から名古屋に及び、関東八州にも及んでいた。その
点で伊勢神宮政権の位置は絶妙な場所だった。つまり
古事記の時代、つまり5世紀ごろまでの古代にあっても
アイヌ撲滅が最優先課題だったのだ。そして今、21世
紀、勝ち誇ったヤマト民族はウポポイでその勝利を祝っ
ている。本国でその報を聞いたアマテラスオオカミさま
は何とお褒めのオコトバをかけるのだろうか。