父の戦死は無駄死に、閣僚の靖国神社参拝は、父と私への冒とく

昨日の記事は途中で中断してしまった。閣僚の靖国

参拝と彼らの談話に激怒した結果、どうしても書け

なかった。あのまま続きを書けば激怒のあまり、と

んでもないことを書く恐れががあったので一晩、冷

却期間をおいた。

 何がそんなに腹が立ったのか。いわずとしれたこ

と。軍国主義の張本人が靖国神社に『祀られている

こと』、しかも、総理と閣僚たちはその戦争責任者

を褒めちぎっていることだった。小泉環境相、荻生

文部科学相高市総務相、衛藤沖縄相。それに安

倍総理大臣閣下(代理)。 彼らはそろって参拝の

理由をのべた。『戦後の日本の繁栄は戦没者尊い

犠牲の上に築かれた。。。』ウソつけ!!!父が戦

死した後、我が家に残されたのは幼い4人の子供、

男兄弟3人と妹。まさに塗炭の苦しみ。

 弟二人は高校にも行けなかった。私だけが親戚の高

校教員の配慮で高校に進学したが上の弟は家を継ぎ、

働きづめに働きついに角田市小田地区で一番の稲作農

家となった。2番目の弟は丁稚奉公に出て苦しみ抜き、

千葉県にでて親戚と一緒に会社を立ち上げ成功した。

 靖国参拝閣僚が言うこととはまったく逆であった。

戦死者が死んでくれたことによって一体日本の復興

にどれだけ寄与したのか。全くの無駄死にどころか

彼らの死によって、残された者が死ぬ思いで働いて

日本経済を発展させたのだ。親や兄弟が無駄に戦死

しなければ経済も社会ももっと発展していたのだ。

良い教育も受けれたのだ。小泉環境相よ、最大の環

境破壊は戦争だった。そんなことまで知らないのか。

知らないふり、するのか?

 彼ら閣僚の靖国参拝をよそに天皇家はさまざまな

圧力にもめげず決して靖国を参拝しない。偉い!だ

から私は皇室が好きだ。天皇の談話も安倍総理や靖

国参拝閣僚の談話とはちがっていた。天皇談話には

決して戦争をおこしてはならないと断言していた。

つまり実際には戦争を起こした戦犯を非難している

のだ。 

 靖国神社は戦争の不当性、犯罪性、理不尽性の象

徴なのだ。あの頃、遠い戦地からの父のはがき『軍

用はがき』が届いた。よく勉強してお母さんを助け

、幼い妹の子守をするように、と。しかしその軍用

はがきには靖国神社の絵と次のような文字が印刷し

てあった。『。。。戦死はためらわない。その時に

は会いにきてくれくだん坂。。。』とあった。最初

このくだん坂が分からなかったが何度も読み返して

、また描かれていた絵を何度も見ていて、くだん坂

靖国神社のことだ、と分かった。

 靖国神社は今も昔も軍国主義そのものの象徴なの

だ。私はくだん坂にはけっして近寄らない。