コロナの最中、春琴抄など不見識

などという非難や批判は覚悟の上だが。事実私はフと

したことで長い間無視してきた谷崎潤一郎春琴抄

を読んだのだ。

 1960年、あの安保闘争で左翼活動家として、

学生運動の真っただ中にあったころ、谷崎は『エロ

気ちがい』の『鍵』を書いた 。しかも当時左翼学生

運動の『機関紙』とまで言われた『中央公論』に書

いたのだからわれわれはおさまらなかった。

 とくに私が当時から日本最高の文学者と尊敬して

いた芥川龍之介谷崎潤一郎の強烈な批判もやった

ものだから谷崎潤一郎への悪意はつのるばかりであ

った。安保闘争に明け暮れたそのころ、彼は浅草の

ストリップ劇場に入り浸り、あげく裸の踊り子を抱

きかかえた写真が週刊誌に載った。安保闘争など『

あざ笑う』がごとく。

 あれから60年以上の歳月が流れた。コロナ闘争

の日々なのに浅草ストリップに行くつもりで谷崎潤

一郎を読み始めた。その最初が『春琴抄』だった。1

ページめで私は衝撃を受けた。

 男女の愛のすごさ、偉大さ、奥深さと同時に男女

の愛が持つ神秘さ、耽美さ、なまなましさに打たれ

た。溺愛する盲目の美人妻がある夜外敵に襲われ、

顔に熱湯をかけられた。妻は顔を見ないでと懇願

した。そこで男はすぐさま自分の両目を針で突き刺し、

醜くなったであろう妻の顔を一生見れないようにして

しまった。二人の人生はその後も変わりなく三味線の

名人としてその調べの和をつないだ。

 谷崎純一郎の春琴に心をの底を奪われるなど、私と

しては心外この上ない。やはり私は徐々に変わって来

たのだ。心外きわまりないが仕方がない。